【Goプリ】「強く優しく美しく」あり続けることはできない

Go!プリンセスプリキュア

本記事はGoプリ最終話に関するレポートです。

絶望との果てなき戦いの末に、はるはるが到達した悟り。
これについての所感をレポートしてみました。

※本記事はGoプリを最終話まで視聴された方を読者に想定しております。
 ネタバレにはくれぐれもお気をつけ下さい。
 Goプリ全50話はABEMAプレミアムにて配信中です。
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絶望は消せない

そう。絶望は…消せない

Go!プリンセスプリキュア 第50話 より引用

ディスピアの力と意志を継承したクローズと拳を交える中で、フローラは悟る。

夢と絶望は表裏一体。

夢が存在する限り、絶望もまた必ず存在します。

彼女の理想像、強く優しく美しく。
ですが、理想はしょせん理想でしかありません。
頭の中で思い描く理想図よりも、現実はもっと複雑でままならないもの。
理想と程遠い、弱くて不寛容で醜い自分、そんな自分を演じてしまう瞬間も、生きている限り何度も何度も訪れます。そして、そのたびにきっと彼女は絶望する。

夢だって消せない

しかし、彼女は同時に気づきます。

夢だって消せない

Go!プリンセスプリキュア 第50話 より引用

絶望するということ、それは心のなかで夢が燻っている証。
本当に夢がない人は、そもそも絶望もしません。絶望は夢の証。
だから、絶望がある限り、夢だって消せないのです。

そして

夢も絶望も、その両方が私を育ててくれた

Go!プリンセスプリキュア 第50話 より引用

絶望が、彼女をさらに強く優しく美しくする。
絶望は、夢の糧。
夢を抱く、追いかける、絶望が立ちふさがる。でも、だからこそ、その絶望を乗り越えようと、頑張れる、強くなれる。そして、当初の理想さえも超えた、さらなる高みへと進んでいける。

そんな彼女の悟りを前に、賢明なるクローズは戦意を喪失。
絶望さえも糧にしながら、夢へ向かって進んでいく者を絶望がとめることはできない。
やってられるか!
そして、何処かに引き上げていく・・・。またいつの日か再戦を期して。

フローラは、そんな去りゆく絶望へ向けて、お決まりの文句を餞別に投げつけます。

ごきげんよう

Go!プリンセスプリキュア 第50話 より引用

絶望に終わりはない。夢を抱き続ける限り、絶望はこれから先も際限なく襲ってくる。
この残酷な真理をまるごと受け入れた上での「ごきげんよう」。
何度絶望が襲ってこようとも、何度これに屈しようとも、それさえも夢の糧にして、何度でも立ち上がればいいだけの話。諦めない限り、道は開き続ける。

結論

生きている限り、私たちはみな夢を追いかけ続けています。
子供はもちろん、功成り名を遂げたように見える老人たちだって。セミさんだって。
夢は、私たちの生きる意味そのものです。
夢を抱かずに生きるなんてことは、ほとんど不可能といって良いでしょう。
この不条理だらけの世界で生きていくには、生きる意味、夢がどうしても必要なのです。

そして、生きている限り、夢を抱き続ける限り、絶望との戦いに終わりはありません。
なぜなら、頭の中に思い描く夢は単純で無限の存在ですが、現実はもっと複雑で有限だから。
こうありたい、こうしたいと思い描く理想に対して、現実はなんと卑小でままならないことか。
そんな理想と現実のギャップを前に、私たちは絶望します。
現実を生きる限り、絶望を完全に払拭する術はないでしょう。

でも、はるはるいわく、それでいいのです。

夢が絶望の糧になるというのなら、絶望は夢の糧になる。
絶望し、絶望に向き合い、そして絶望を乗り越えた経験は、さらなる絶望に立ち向かう力をくれる。私たちは、そうやって絶望と向き合い戦い続けることで、絶望とともに、さらなる夢の高みへと登っていけるのです。

第 50 話 はるかなる夢へ!Go!プリンセスプリキュア! – Go!プリンセスプリキュア – 作品ラインナップ – 東映アニメーション (toei-anim.co.jp) より引用

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