【まほプリ】みらいが「奇跡のプリキュア」である理由

魔法つかいプリキュア!


本記事は、まほプリの主役である朝比奈みらいについて書いたものです。
朝比奈さん、一部では主体性がないとかいわれることもありますが、
私は歴代でもトップクラスの化け物だと思っています。
彼女は単なるリコ命のわくわくもんではない。

※本記事は、まほプリを49話まで視聴された方を読者に想定おります。
 ネタバレにはくれぐれもお気をつけ下さい。
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みらいのすごさ

魔法つかいプリキュア! 第14話 あらすじ | -東映アニメーション (toei-anim.co.jp) より引用

みらいのすごさ、それは馬鹿になれるところ。

常人は数学のテストをあみだくじで解こうなんて発想には至らない。
雷が落ちまくっている中、自分から避雷針を掲げて絶叫しようとも思わない。

でもみらいはちがいます。
かような愚行も、わくわくもんみらいにとっては至極真っ当な行為のもよう。
むしろ、「なんでみんなやらんの???」くらいの勢いです。なんと愚かな。

でも、その愚かさこそ、彼女のすごさだと、私は思います。

そして、そんなみらいの真骨頂は何と言っても「49話」

みらいが「奇跡のプリキュア」である理由

魔法つかいプリキュア! 第49話 あらすじ | -東映アニメーション (toei-anim.co.jp) より引用

伝説回「49話」。
この回の伝説性は様々な角度から語りうると思いますが、そのハイライトが大学生みらいのキュアアップ・ラパパにあることに異論がある人はいないはず。

深夜にひとり木の枝を振り回しながら、一心不乱にキュアアップ・ラパパを連呼するみらい。
このときすでに、彼女がみんなと離れ離れになってから、早くも5年が経過してます。
多感な十代の5年は長い。奇跡を信じ続けるにはあまりにも長過ぎる期間。
それでも彼女は、あの「別れ」から何十回目かの十六夜の夜、再びキュアアップ・ラパパに打って出てみます。

キュアアップ・ラパパ!もう一度みんなに会いたい!

しかしなにも起こりません。

なんてね、バカだなわたし

わくわくもんJC時代はともかく
何だかんだまともな思考も身についてしまっているJDみらい。
冷静に考えてみるまでもなく、これがどれだけ馬鹿げた行為かということは、
彼女も十二分に理解しています。
でも…

素直な言葉は力になる。
想いがつながっていれば、それは奇跡を起こすのよ

おばあちゃん言ってた!

祖母の言葉を思い出して覚醒した彼女は、再び木の枝を手に取りキュアアップ・ラパパを
乱れ打ち始めます。

キュアップラパパ、みんなに会いたい!

キュアップラパパ、みんなとずっと仲良しで居たい。キュアップラパパ、みんなとずっと一緒に居たい。キュアップラパパ、みんなに会いたい!

それでも、何度やっても、やはり何も起きないけど、それでも続ける。
もはや完全に常軌を逸していますが、
精魂使い果たしても、声が枯れ果てても、それでも、キュアアップ・ラパパを絞り出す。

キュアップラパパ、みんなに会いたいよ・・・

キュアップラパパ、リコにみんなに・・・会いたい


そして最後の最後には本当に奇跡を呼び寄せる。


みらいが「奇跡のプリキュア」たる最大の理由。
それは、一周回って馬鹿になれるところ。どれだけ無慈悲な現実を突きつけられても、それでも往生際悪く希望を信じ続け、なりふり構わずアクションを起こし続けられるところ。
ここにあるとわたしは思います。

奇跡は馬鹿者にしか起こせない。
万策尽きたにも関わらず、それでも「できる!」って信じ続ける、叫び続ける。理屈を超えて、あがいてあがいてあがきまくる。「奇跡」と呼ばれる現象は、そうした愚かしく泥臭い努力の末についてくる。
まほプリを見て、私はそんな確信を新たにしました。

ふたりの奇跡

魔法つかいプリキュア! 第1話 あらすじ | -東映アニメーション (toei-anim.co.jp) より引用

みらいの強さがこれでもかというほどの高濃度で凝縮されていた「49話」。
そして、この回のみらいを思い出すだけで、自分も奇跡を信じて頑張ろうと思えてくる。
これは、私だけに限った現象ではないはず。
ここにも、みらいの重大なすごさがあります。
これは特に映画の方で顕著に描写されていたことですが、
みらいには、周囲にも奇跡を信じさせ、行動に移させる不思議な共鳴力があります。
これもみらいが「奇跡のプリキュア」たる由縁の一つか。

そして、その栄えある最初にして最大の共鳴者はいうまでもなくリコ。

まほプリはみらリコの「奇跡」的な出会いから始まった物語ですが、このとき以来、
みらいの原動力はリコはーモフ、より詳しく言うと「リコはーモフといる日常を守ること」になります。このときから、みらいにとっての「奇跡」の究極的な目的はリコはーモフにあるといってよいでしょう。リコリコリコリコ。はーちゃん、モフルン。リコたちと一緒にいるためなら、彼女はどんなことでもできる。まじで。なぜなら彼女はリコはーモフ命のわくわくもんだから。

つまり、作中でみらいの起こした数々の奇跡は、リコなしでは起こり得なかった、
いやそもそも起こそうとも思わなかった。まさしく「ふたりの奇跡」です。

奇跡は自分ひとりのために起こすんじゃない、誰かと幸せになるために起こすもの、
誰かと幸せになりたいと願うから起こせるもの。

少し蛇足気味ですが、「ふたりの奇跡」にはそんなメッセージが込められているのではないかなと思っています。
そう考えてみると、リコモフなしではみらいは「奇跡」のプリキュアたりえないというのも納得です。なぜなら「奇跡」というのはそういうもの、原理的にひとりで起こせるものではないから。

結論

誰かと幸せになる未来を強く思い描き、なりふり構わず行動を起こし続ければ、奇跡は必ずついてくる。
朝比奈さんは背中でそう語っています。

生きている限り、「万策尽きる」なんてことはありません。
「まだキュア・アップ・ラパパ連呼してないじゃん!」と朝比奈さんに喝られて、
反論できる人類はいないはず。
まだ、まだ、私たちにはできることがあるはず。

まほプリは魂の強壮剤

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